元教師の頑固な祖父が杖の導入に頷いた話

私は祖父と同じ家で、同じ空間で暮らしています。

祖父は現役時代は教師をしていて、その仕事を定年までずっと続けました。当時は不良文化の最盛期。祖父は荒れたクラスの担任を任命されていたと聞きました。

定年後も何度か働いていましたが、一切合切をやめて余暇を過ごすようになって早十余年。

 

御歳九十二歳になった祖父は、若い時から変えられない昼夜逆転した生活をそのままに、子供に返りつつあります。

同じ話を繰り返し、同じ行動を繰り返す。納得がいかないと癇癪を起こして解決するまで行動を続ける。周囲が白い目をしていることは分かるから面白くなくて、その呆れた目を振り切るようにまた固執する。

そんな祖父を見ると、私はなんとも言えない気分になります。

 

背筋を伸ばししゃんと歩いていた祖父はもう居ない。けれど無邪気にはしゃいで何も気が付かないような子供じゃない。

 

認知症はオンとオフで切り分けられるものじゃありません。

夕日が落ちるようにじわりじわりと、ゆっくりと進んでいくものです。いつの間にか影が濃くなっていて、え、と顔を上げると雲がかかっているだけ。気のせいかとまた遊んでいると、いつの間にかもうこんなに暗い。そんなもの。

 

小中学生の頃に知り、それ以降ずっと好きだった言葉があります。「赤子叱るな来た道だ、老人笑うな行く道だ」。当時の私は、この心持ちを忘れずに生きようと誓いました。人は皆赤子として生まれ、赤子に還っていくのだと。

でもそれは、まるで階段を下りるように段階を踏むものだと思っていました。現実はそうじゃなかった。

 

大人と子供を交互に歩んでいく祖父の背はもうかなり丸まって、小さく頼りないものになりました。

祖父はまだ赤子になってはいません。今日もまた、出来なくなったことを寂しそうに呟いて、けれど車椅子もデイサービスも拒否してよたよた歩いていきます。

 

私に出来ることは傍で見守り、機嫌を伺い、たまに提案をして手を差し伸べることだけです。それは老いを突っぱねる祖父にとっては首肯しがたいものらしく拒否されることがほとんどですが、ごく稀に頷いてくれることがあります。椅子の導入。杖(これを"つえ"と呼ぶと不機嫌になるので、うちでは"ステッキ"と呼んでいます)の導入。などなど。

 

杖の導入はなかなか頷いてくれず苦労しましたが、「私(筆者)が手術後の歩行補助に使っていたのが余っていたので」という建前と共にプレゼントしたら使ってくれました。伸縮式でサイズが変えられるのと、黒いシックなデザインが良かったようです。BigAlexのものです。

 

新しいものの導入は祖父の生活を幾分か楽にしてくれているはずですが、プライド高い祖父が頷いたということは何か葛藤があったはずだと思うと少し苦しくなりますね。

 

上手くいくかは分かりませんが、うちの家庭ではこの方法が良かったので同じものの商品リンクを載せておきますね。同じような悩みを抱えていらっしゃる方が入ればどうぞ。

 

https://a.r10.to/hkhBly